お箸の話


女王 卑弥呼が、国を治めていたとされる3世紀頃、日本(倭)の様子を記録した「魏志倭人伝」に『籩豆(高坏)の上に盛って、手で食べる』と記されている事から、この頃の日本人は、箸を使って食事をする習慣はなかったと言われています。

 
日本では、神嘗祭や新嘗祭など古来、神に感謝の意を表す神事が行われてきました。

この時、神に供える食事を神饌(御饌)といい、食べ物が人の手に触れて穢れないように箸が使われました。

この箸は「折箸」といって、竹を二つに折り曲げて、ピンセット状にしたものです。

神事が終わると、神饌を下げ、皆で頂く「直会」という饗宴が行われました。これは、『神人共食』といって、神と同じ物を食べる事で、神の力を頂くという思想です。

 
この頃は、食べるとは言わず「嘗める」と表現されていました。

嘗めるとは、味わうという意味で、神饌を箸でとり、直接人々の手のひらに渡され、その食べ物を嘗め、感謝して頂いたと伝えられています。

命の糧である食べ物を、運んでくれる道具である箸は、「神の依り代」(神が宿る)と考えられていて、大切にされてきました。

 
現在、私たちが使っている二本一対の箸を、日本で最初に採用したのは、聖徳太子(厩戸皇子)であると伝えられています。

607年、小野妹子を大使として、遣隋使を派遣しました。

翌、608年4月、小野妹子が帰国する際、隋(中国)の使節である裴世清と他12名が来日しました。

裴世清らを、歓待するために行われた饗宴で、聖徳太子は小野妹子が隋で見てきた食事作法を採用する事にし、箸と匙を付けてもてなしました。

 
翌月、隋の使節団は帰国し、日本の様子を記録した『隋書倭国伝』で「俗、盤爼なく、藉くに檞の葉をもってし、食するに手を用ってこれを餔う」(一般の人々は、柏の葉を食器代わりにして、手で食べている)と伝えています。

この頃から、皇族や身分の高い貴族などは、箸を使って食事をするようになったのではないかと言われていますが、一般の人々はまだ手食をしていました。


 
7世紀後半から、8世紀後半にかけて編まれた、日本最古の和歌集である『万葉集』に「父母賀、成乃任尓、箸向、弟乃命者、朝露乃、銷易杵壽、神之共、荒競不勝而~」(同じ両親という縁あって、二本一対の箸のように、いつも一緒だった弟は、朝露のように儚い命で、神が定めた寿命には、逆らうことはできませんでした)と弟の死を悲しむ和歌がおさめられている事から、二本一対の箸は、5世紀頃から皇族や身分の高い貴族などが使い始めるようになり、8世紀はじめ頃には、一般の人達にも広がったのではないかと考えられています。

 
平安時代初期、おもてなしの一つとして、客人の前で魚を調理して見せる『庖丁』が誕生し、藤原山蔭が、鯉の庖丁をし『庖丁式』という儀式として定めました。

主に天皇や身分の高い人達の前で披露されました。

 
魚(生き物)の死は、穢れを意味します。天皇や身分の高い人達に、お出しする食べ物の穢れを祓う目的の儀式でもありました。

庖丁式は、直接魚に手を触れずに切り方を見せるもので、この時真魚板と真魚箸が使われました。

真魚箸は銀製の箸で、銀は青酸や砒素に触れると黒変するので、毒物を検知できます。銀製の真魚箸を使うのは、魚の変質や、有毒物質が混入されていない事を識別するためでもありました。

 
927年に延喜式が完成しました。延喜式とは、儀式の行い方、料理の作り方、神への供物などについて細かく制定したものです。

延喜式には、金、銀、鉄、白銅などの金属製の箸を数える単位は、一具、一隻と記され、竹製の折箸や二本一対の唐箸を数える単位は、一株、一囲と記されています。

 
今のように一膳という呼び方が生まれたのは、平安時代中期あたりで、鎌倉時代から室町時代にかけて、二本一組の箸を『一膳』と呼ぶことが定着したと考えられています。

平安時代に誕生した『大饗料理』は、一つの膳に一対の箸が添えられていました。

平安時代中期に完成した『宇津保物語』(貴宮の巻)に「銀箸一膳」という言葉が使われている事から、この頃「一膳」という言葉が生まれたのではないかと考えられています。

今でも一膳と数えますが、未使用の割り箸は「一本」と数える事もあります。

 
誕生から約100日~120日の間に、初めて食べる膳を調え、箸をとって食事のまねごとをする儀式を『お喰い初め』といい、『箸はじめ』とも言われます。

生後初めての儀式は、箸を使う儀式で始まり、亡くなる時は『枕飯』といって、故人が愛用していた箸を一本、高盛りしたご飯に立てて、お箸をあの世とこの世を結ぶ架け橋に見立てて死者を送り、火葬後遺骨を箸で拾う「骨揚」を行います。

このように、人の人生は『箸に始まり、箸に終わる』と言われ、箸は命に直結する『生命の杖』として大切にされてきたのです。

 
平安初期、箸に仏教的な意味づけをしたのが、唐(中国)で密教を学び、真言宗を開いた『空海』(弘法大師)です。

手食から箸を使って食事をするようになった人々を「箸を挙ぐる者」といい、重疾貧困から抜け出し、福徳に恵まれるよう『箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救わん(救いましょう)』と箸に、衆生済度の祈りを込めました。

 
箸の語源は、いくつかあって、竹をピンセット状に折り曲げた折箸が、鳥の嘴に似ている事から、折り曲げた端と端(二本一対の箸の箸先、端)を使う事から、神仏が宿る柱(神木、依り代)だから、食べ物と人、神と人を結ぶ架け橋だから、あの世とこの世を結ぶ架け橋だから、などと言われています。

 
生命の象徴である箸は、素材の縁起も大切にされてきました。


竹は早い成長と、強い生命力を象徴し、柳は新春に真っ先に芽吹くめでたい木であり、強くしなやかで折れにくく、木の白さは清浄で穢れのない事を意味し『家内喜』と当て字をされ、お祝いには欠かせない箸です。


檜や杉は、長寿を意味し、栂は、家を継ぐ、名を継ぐといって繁栄を意味し、槐は「延寿」に通じ、寿命を延ばす事を意味し、櫟は「一位」に通じ、一位、勝利、成功を意味し、柿の木はたくさんの実がなり、福をかき入れる、お金をかき入れるという意味があります。

 
箸は、スプーン、フォーク、ナイフと違い、二本一組で摘む、切る、挟む、すくう、まぜる、ほぐす、運ぶ、包み込む、支える等多彩な機能があります。

今のようにテーブルで食事をするようになる前は、折敷といって足つきの膳に一人分ずつ料理が並べられました。

高さは正座をした時のひざの高さぐらいだったため、器を手に持って食べなければいけないので、片手で色々な使い方ができる箸は、日本人の食事のスタイルにあった大変便利なものだったのです。

 
また他国にはない特徴の一つとして、箸はそれぞれ個人専用のものを使います。

口と心は繋がっていると考えられていたため、直接食べ物を口へ運ぶ箸を、他人と使いまわす事は、穢れるとされていました。

穢れは「気枯れ」といって、生命の枯渇を意味します。

そして、穢れから箸を守るため、箸置きを使います。

箸先一寸(3cmくらい)が穢れないようにするためです。

 
このように箸は、色々な意味が込められた尊いものであり、単なる食事をする道具ではありません。古来大切にされてきたものです。

それだけに、箸使いの作法も細かく決められています。

やってはいけない箸使いを『嫌い箸』または、忌み箸、禁じ箸といいます。

 

代表的な嫌い箸
刺し箸 箸で料理を突き刺して食べること
迷い箸 どの料理を食べようかと迷い、料理の上であちらこちらと箸を動かすこと
渡し箸 箸置き代わりのように茶碗や椀、皿のふちに箸を渡して置くこと
立て箸 ご飯の上に箸を突き刺して立てること。「仏箸」とも言われる
寄せ箸 食器を箸で手前に引き寄せること
涙箸 箸先や箸で持ち上げた料理から汁やたれなどのしずくをたらして食べること
ねぶり箸 箸についたものを口でなめて取ること
かき箸 器に口を付けてかき込んで食べること。ただしお茶漬けは例外
拾い箸 食べ物を箸から箸へ渡すこと。最高のタブーとされ「箸渡し」「合わせ箸」とも言う
すかし箸 骨の付いた魚の上身を食べた後、骨を外さず骨越しに下身を食べること
さぐり箸 盛付けられた料理の中から箸でかき分けて食べたいものだけを探ること
押し込み箸 大きなものを一気に口に入れ、箸で口の奥へ押し込むこと
そろえ箸 箸先がそろってないときに、箸先を膳の上や食器の中でトントンとそろえること
たたき箸 食器を叩いて音を出すこと。「茶碗を叩くと餓鬼が来る」とも言われ、悪霊を呼ぶ行為とされている

 

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